1.素人神社探索人、てきろの放浪記です。
2.由緒の斜体文字は、神社庁、もしくは神社公式サイトからの引用です。
3.写真は、素材や模写での利用はご自由に。

千年神社(ちとせじんじゃ)(〒213-0022 神奈川県川崎市高津区千年539)

〒213-0022 神奈川県川崎市高津区千年539
御祭神
天照大神 ( あまてらすおおみかみ ) 
天屋兒根命 ( あめのこやねのみこと ) 
日本武尊 ( やまとたけるのみこと ) 
応神天皇 ( おうじんてんのう ) 
倉稲魂命 ( うかのみたまのみこと ) 

神社庁リンク

由緒
天保二年(1645)一月二十四日以降、文政元年(1818)九月に及ぶ棟札のほか、天保八年(1837)九月建立の石坂供養碑が現存するので近世初頭に建立されたものと思われる。 
 昭和三十年一月二十一日、御嶽社に春日社と神明社とを合祀し千年神社と改称した。 


  

 

  

 

裏手の参道側にも狛犬君
 

杉山神社 (〒213-0013 神奈川県川崎市高津区末長2丁目28−8-11)

〒213-0013 神奈川県川崎市高津区末長2丁目28−8-11

御祭神
五十猛命 ( いたけるのみこと ) 
天照大御神 ( あまてらすおおみかみ 

由緒
創建年代は不詳。文政8年(1825)奉納の手水鉢が現存する。 
戦後不審火により焼失したが、昭和48年に再建した。


神社庁リンク

とにかく感動的なのが、神社裏手の椎(シイノキ)。


  

 

 

 

由緒書き
 

  

   

合祀
二つ並んでいたのですが、由来書きがなく、判別がつかず。


左の社の下で、猫さんが寝てた!!
 

帰り際、やはり椎に感動。
  

椙森神社(すぎのもりじんじゃ) (東京都中央区日本橋堀留町)

最寄り駅 東京メトロ 小伝馬町
東京都中央区日本橋堀留町1丁目10−2

御祭神(東京神社庁)
伍社稲荷大神(ごしゃ)
恵比壽大神(えびす)

御祭神(東京神社庁)
倉稲の魂(うがのみたま)の大神
素戔嗚(すさのう)の大神
大市姫(おおいちひめ)の大神
大巳貴(おおなむち)の大神
四大神(以上五社稲荷大神)
恵比寿大神(相殿) 

由緒
本社は遠く、一千年の昔、武蔵野の原たりし時代の、創建にして、天慶三年(940)田原藤太秀郷(たわらとうたひでさと、後に藤原秀郷)平将門を追討せんと、常に信心厚き心から当社に詣で、戦勝を祈願し、下総の国(千葉の一部)に至り強敵を亡ぼす、これ偏に神助に依ることと、願望成就の報賽として、常に尊心せる、白銀の狐像を奉納す。(現存す)
文正元年(1466)の頃、関東一帯、連年旱魃ありて、農民疲弊の時、太田道灌、当社に詣で民の憂いを訴え,ひたすら、雨を乞い祈らば、その霊験あり、大いに喜びて、尊敬のあまり、山城国稲荷山五社大神を、うつして祭祀す。
以来、毎年四月中の卯の日(現在五月十六日)を祭日と定め、御社大いに栄え、西の方、芝原宿という、鎧の渡しより陸奥に行く駅路ともなりぬ。
江戸時代には、江戸三森(椙森、柳森、烏森)の一つに数えられ、諸大名の中に崇敬者も多く、松平伊豆の守信綱は、桜樹千株を移植し、松平播磨の守頼隆は、石の鳥居を建立せらる。又,商業の地として栄えた土地がら、晴天十日間の花相撲、更には、富興行等も、数多く行われ、三富の一つにも数えられる程であった。
特に神道家の吉川惟足(これたり)は信仰厚く、寛文年間(三百有余年前)五社稲荷の一社なる大巳貴大神の御宣託に依り、恵比寿大神を奉斎せられ、今日に至るも年々盛大に、祭典を執行せり。
たとえ、物換星移(ものかわりほしうつり時世に盛衰あるとも、神徳天地(あめつち)と共に限りなし。
江戸名所図会等にも掲載されている神社です。
 

神社庁リンク

椙森神社リンク

四大神を、素戔嗚の御子神、
五十猛神・抓津姫神・大屋姫神・事八十神
としているところもありますね。
兄貴ー(^◇^)



 



 

由来書き
  

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